Make your own free website on Tripod.com
《登場人物紹介》

「ICR」・・・コールサインです

 すっごく好きだったんです。
 上の兄貴の友人だけど、年は私と一つしか違わない。当時16歳。兄貴の仲間十数名と一緒に会ったんだけど、初めて会った瞬間に「私、この人と結婚する」なんてインスピレーションを感じたのですが、とうとうそれは叶いませんでした。
 自分から別れたんだけど、ずっとずっとずっと好きだった。「日本に帰ってきたらもう一度つきあいたい」って本気で思っていたんだけど、世の中そううまくはいかない。つかず離れずの関係がずっと何年も続いていたけど結局諦めました。一度交わった線が離れると、もう一度交わるのは奇跡に近いんだと、この時思いました。だから大切なものは絶対に手放してはいけないと。

「アンディ」・・・安藤君

 「安藤」だから「アンディ」。とっても安直なネーミングでしょ?(「市原」だから「イッチー」ってのも十分安直?) ちゃっくが調査課を去った後、チーム制が実質廃止になり、「チームリーダー」は存在したものの、部下は仕事毎に決まる、みたいな体制になってから結局一番よく一緒に仕事をした二つ下の後輩です。見た目は虚弱体質っぽいけど、結構頑張るかわいい奴。(課が離れた今も、徹夜仲間の一人です。)
 一緒に怒涛のような仕事の山を片づけた思い出も然る事ながら、ちょっとした(いや、結構大変な)事件もあり、徹夜で仕事しながら、2人で頭を抱えて悩み続けたことが忘れられない思い出です。

「Anne」・・・Anne Uebelacker

 カナダの女性コーラー。NACCではスタッフだったり、Associate Callerだったりというギリギリの線にいる感じ。私が初めて生で踊った外人コーラーです。結構売れているコーラーだけど、ハイレベルにはちょっと問題がある。でも、好きよ。

「イッチー」・・・市原君

 ひとつ下の後輩。男の子。本来、入社当時に私が教育することになっていて、いろいろと教育プログラムを準備していたが、彼の入社とともに私が異動。1年半経って、私が戻り、彼と組んで仕事をすることになった。その頃の彼は非常に基本的なことができてなくて、「一年半、誰が何を教えていたんだぁ!」と怒ってしまいました。
 それからというものの、日々彼の育成に励んでいました。物静かなイッチーは反応がよくわからず、聞いているんだか何だかって感じでした。だから、私はいつも怒鳴ってばかり。でも、彼は密かに悔しがっていたんです。ある日、「のりこさん、一年後の僕を見ていてください」と宣言した彼は、間もなく本社に異動してしまい、「一年後の彼」を見る夢は叶いませんでした。でも、イッチーと一緒に仕事をした一年間は、熱く、楽しい一年でした。

「粕谷君」・・・つらい別れだった

 私にとって、二度目の同年代の死だった。真ちゃんは、死ぬとは思っていなかったけど、何年も病院に入っていたし、ずいぶん長い間会っていなかったので、あまりその死を実感することがないけど、粕谷君はとっても身近なところにいたから...。大学1年の時からずっと仲間で、卒業してからも彼は新潟に配属になって遠く離れていたけど、合宿とかOB会とか結婚式とか、会う機会はたくさんあった。あの時も、合宿の打ち合わせで会って、同期同士で結婚する内藤君達の結婚式で会って、合宿の本番で会って、もうすぐOB会で会えるって時だったのに...。その週だけは何もなかったのに、なぜあなたは東京に帰ってきたの? それがいまだに謎です。

「Clark」・・・Clark Baker

 アメリカ、ボストン在住のチャレンジコーラー。とっても頭のいい、コンピューター屋さん。New YearはClarkとLynetteだから、私にとって生で踊る機会が一番多いコーラーかな? かなり難しめのコールをする。最近は「テンポよく踊りたい」という気持ちが強いから、Clarkにはもう少し易しいコールを、もっとスピーディにしてもらいたいと思っている。

「Gregory」・・・My first Boy Friend

 スケートリンクのオーナーの息子(次男坊)。初めての彼はなんと、ドイツ系アメリカ人だったわけです。当時私は13歳、彼は14歳。はっきし言って子供ですが、当人はマジです。彼ももちろんスケーターで、毎週金曜の夜は一般の時間に滑りに行っていた(普段はクラブ員の時間に練習する)ときはふざけてペアスケートまがいのことをやっていた。これがコーチの目に止まり、「あなたはシングルスケーターなんだから、そんなことしていると変な癖がつく」と一緒に滑ることを固く禁じられる。
 かなり真剣に好きだったが、夏の間会わないうちに自然消滅。言葉の壁や文化の壁もあり、以後アメリカ人とつき合うのはやめにした。

「公(こう)」・・・My X-Husband

 離婚した夫です。大学時代のサークルの1つ上の先輩で、家が同じ沿線だった関係で、学生時代の4年間も仲のよい先輩・後輩でした。でも、学生時代はお互いに別の人とつきあっていました(サークル内の)。
 大学卒業後、会社に入ってから無性に「学生っぽい遊び」がしたくて、公を含めた先輩2人と私ともう一人の同期の女の子の4人で、毎週のように遊びまくり、そのうちなんとなくまとまってしまいました。
 サークルの仲間には極秘でつきあっていたので、OB会で彼が「来年結婚します」と発表した時は、ものすごいどよめきが湧き起こりました。そして、「相手は……」と言った時はあまりの衝撃にフロア中が一瞬固まってしまいました。
 その夜は、あちこちで電話が飛び交い、OB会に参加していなかった仲間に対して「楠美さん、結婚するんだって!」もしくは「のりこさん、結婚するんだって!」という情報が流されました(ものすごいスピードで!)。この前者の報告を受けた人は、その次に来る「相手は誰だと思う?」という質問に皆「のりこさん」と答えたそうですが、後者の報告を受けた人は、4人の仲間のもう一人の先輩の名を挙げる人が多かったそうです。ちょっとおもしろいな、と思ってしまいました。ま、それもこれも遠い昔のことです。

「将ちゃん」・・・将太郎とも言う

 本名は「将(しょう)」。でも、「将太郎」とか呼んでしまう。私が入社した後、バブルはじけて急激に新入社員が少なくなり、リサーチに新しい人が入ってこなくなっていた。将太郎は異動者だが、それでも「3年目」という一番の若年者。職級もリサーチ唯一の「J職」だった。(ほとんどはその上の「L職」。そして「M職」=マネージャー職もうじゃうじゃいる)
 そんな若者不足の中、異動してきた「期待の新人」だった。しかし、なぜかそんな新人不足の時代でも、私の下には常に後輩がいた。そして、繰り返し、繰り返し「教育」という役をおおせつかってきた。この時もそう。で、大変苦労しました。詳しくは
「天国と地獄」の「後輩の成長に涙する時」をお読みください。

「Sue」・・・Sue Curtis

 アメリカの女性チャレンジコーラー。コール作成支援ソフト「Sd」の製作者でもあります。
 1回しか会ったことないし、テープでもあまり踊る機会がないけど、とてもいいコーラーだと思います。ワゴンの合宿のSueのコールは、フロアの雰囲気もとてもよかったし、「日本でこんなダンスができるんだ!」と感動したダンスでした。またいつか呼びたいなぁ。

「Seiji」・・・性格はアメリカ人の誠治君

 一番このページを読みそうな人だから、コメントするのをちょっと躊躇してしまうけど……。
 中学入学と同時に知りあった仲間で、一時期つきあってはいたけど、「友達」だった期間の方が圧倒的に長い。12歳の4月から今までずっとつきあいが続いているから、1998年現在で19年間のつきあいになります。むちゃくちゃいい奴。私の自慢の友人です。仕事で日本にちょくちょく帰ってきて、その度に必ず連絡してくるから年間4〜5回会ってます。(日本にいるNY時代の友人とは何年も全然会っていないのに…)
3年前に同僚のアメリカ人の女の子と結婚して、もうすぐパパになる予定。先日はボストンの彼の家にお邪魔して、お雑煮とおせちをご馳走になりました。

「壮一郎」・・・柴田の壮ちゃん

 New York時代、近くにいながら一度も会うことがなかった。が、お互いその存在だけは知っていた。最初の頃は彼はNew York、私はNew Jerseyと離れていたけど、途中から壮一郎がNew Jerseyに引っ越して来た。その時、「“New York一いい男”がNew Jerseyにやってくる」と話題になったが、彼は日本人学校には来なかったし、現地校も以前から通っていた国連学校に通い続けたから接点がなかった。でも、彼の妹とはずっとつきあいがあった。
 帰国後すぐに通い始めた予備校で初めて壮一郎と出会う。確かにむちゃくちゃ“いい男”だった。少し惹かれたけと、結局、ずっと近くにいるけど、友達以上の存在にはならなかった。大学も同じ慶応に進み、1年の途中から私のいたサークルに入部し、以後ずっとサークルの仲間としてつきあっている。
 数年前、壮ちゃんが結婚してから会ってないけど、元気かな?

「竹内夫妻」・・・あっちゃんと眞理子さん

 眞理子さんはCSCの仲間。正確に言うと、CSCの首謀者です。眞理子さんとは3つのクラブで一緒。あっちゃんとは2つのクラブで一緒です。
 最初の出会いの時は「もしかしてあなたが?!」といきなり話しかけられ、面食らってしまいましたが、今や夜中に何時間も電話で話す仲です(なんじゃそりゃ?)。C2くらいまではちゃっくの力が大きかったけど、C3以降は随分眞理子さんに叱咤激励され、ここまでやってきました。おだてられたり、たしなめられたり、とにかく常に働き掛けがあったような気がします。

「千恵」・・・塩見千恵

 私の親友&永遠のライバル。11歳の時、アメリカに渡って初めて出来た友達。ものすごく仲のいい時期と、お互いを遠ざけていた時期があった。高校2年の時に彼女が帰国してから長い間、疎遠になっていた。1〜2年に1度くらいのペースで思い出したように神戸から手紙をくれた。内容は大抵「彼氏ができた」の報告。
 私の帰国と入れ違いに、彼女の両親がまたNew Yorkに赴任になり、彼女はアメリカへ。私の両親と同じマンションの同じフロアに住んでいた。
 大学4年の終わりにNYへ里帰りして、久々の再会。3週間の滞在中、夜な夜なキッチンで2人で語らい、みんなが寝静まる頃、マンハッタンのバーへ繰り出し、空が白み始めた頃帰宅。連日の朝帰りで、マンションの守衛さんには「夜の商売」の人と思われたかもしれない。

「ちゃっく」・・・みなさんご存知

 SD関係者はみなさんご存知の「ちゃっく」です。私の同僚兼スクエアダンス仲間。いや、私をSDに引きずり込んだ張本人です。そして、最初の一週間で、営業の合間や昼休みを使って私にMSを叩き込んだ人です。
 その後も着々と私のデビュー計画を立て、目標を設定し、私の尻を叩いてチャレンジの階段を駆け登らせた人です。ちゃっくがいなかったら、私は今、何をしているんでしょうねぇ。

「トラックの運ちゃん」・・・まさる

 私の記念すべき大恋愛の一つです。あっという間に終わってしまったけど……。でも、とっても素敵な人だった。ひどい別れ方をしたと思うけど、恨む気にはなれなかった。彼は一生懸命自分のやるべきことを見極めて決断したわけだから。
 彼の生き方が素敵で、私は彼をとても尊敬していました。今は音信不通だけど、つらいことがあると会って話を聞いてもらいたくなります。でも、悲しいことに、今どこで何をしているのか、全然わからない。

「はせがー」・・・長谷川君

 もう5年くらいのつきあいかしら? 会社の同僚で、今はシステム推進Gで一緒。一年前までは、ここの課(本業の)で、一緒に制作の仕事をしていました。でも、業務で一緒の印象よりも、委員会でのつきあいの方が濃い。“はせがー”がリサーチに来てからずっ〜〜〜〜〜っと同じ委員会。前は広報委員会で、今はSB委員会で。いずれも私が委員長で、彼はいつも私のよき理解者&右腕とも言える。これからもよろしくね。

「彼」・・・Hiro

 不思議な関係だった。今でも時々思うけど、彼にとって私は何だったんだろう? 「ライバル」という言葉を彼が使ったことがある。一番長くつきあった人だけど、彼は私のことをあまり理解していなかったんじゃないかな。
 別れてから、随分つらい思いをした。一緒のサークルでちょうど執行部になった時だったから。それまで彼の右腕だった私はその関係がうまくいくか自信がなかったけど、結局こらえてずっと一緒に仕事をした。新入生には「あの2人、つきあっているの?」と言われる始末。後半のつらいことばかりが残ってしまっているけど、1年生の時はとても楽しかった。
 「つきあっていた」という事実にはずっと触れずにいたのに、卒業の時、彼が「いろいろあったけど、いてくれてありがとう」と言ってくれたので、ずっと胸につかえていたものが降りた感じだった。

「誠」&「真美」・・・不思議な友情

 誠は真美の彼氏だった。でも、私も好きだった。それを誠も真美も知っていた。そんな不思議な3人だった。
 ある瞬間、私は誠にほれてしまった。その時「私、誠にほれちゃったよ、どうしよう」と咄嗟に口に出していた。もちろん、真美の隣で。真美は笑ってた。
 17歳の夏と冬は3人で過ごした。私が18の時、日本に本帰国する際に成田に迎えに来てくれたのもこの2人。(デートしてて、遅刻しやがったけど)
 この2人、とっても素敵なカップルだったのに、結局うまくいかなかった。それぞれ別の人と結婚し、それぞれもう子供をもっている。誠と真美が別れてからも、3人で会うことがあったけど、最近は疎遠になっている。真美から年賀状はくるけど、電話番号が書いてないので、連絡が取れないままになっている。

「ゆみちゃん」・・・My Partner?

 私の所属クラブ5つのうち、4つはゆみちゃんと一緒です。ゆみちゃんはCSCの仲間であり、アメリカに踊りに行くパートナーでもあります。もう既に4回も一緒にアメリカにいっちゃいました。
 平均年齢の高いSD界で、年が近く、生活環境も似ているという珍しい(?)存在です。



This page is maintained by Noriko Takahashi