Make your own free website on Tripod.com
HOME - Profile - What's New - CM - Square Dance - My Cat - Memorial Visitor
Chat Room - Guestbook
SD Beginner's Index - Dancer's Index



天国への電話
 最近、通信技術が発達して、世界中何処にいても、あまり距離を感じないですむようになったけど、天国にいる人と話せる電話なんてものはできないのかなぁ。

 金曜日、Club CYNOSの例会の後、いつものように駒込に向かって歩いている時、PHSが鳴った。会社からかな?と思ったら有美だった。有美はNY時代の友人で、まったく連絡を取り合わない仲ではないけど、最近は忙しくて2年くらい会ってなかった。たまに電話はしてたけど。そんな有美からこんな時間に、わざわざPHSにかかってきた。この時点で既に「悪い知らせだな」と感じていた。

 改めて考えてみると、会わなくなってからもう10年も経っていたけど、中学の時に知り合い、高校時代は犬っころのようにいつもじゃれあっていた大切な友達、麻由美の死を知らせるものだった。最初の電話では、「水曜日に亡くなった」ということと、「告別式は明日」であることしかわからなかった。別の友達に電話をして、第二子出産後に体調を崩してのことだと知った。

 あの頃、土曜日の日本人学校で10数人の仲間でいつもつるんでいたけど、その中でも私と麻由美と公美の3人は特に仲が良かった。もともとは公美と麻由美が仲が良くて、私と公美が同じ現地校で仲が良かったため、自然と私と麻由美も親しくなったんだった。
 クラスには「まゆみ」がもう一人いて、字で書けば「麻由美」と「真弓」と違うが、音に出せば同じなので、区別するために麻由美は「まー」と呼ばれていた。それでも時々、まーのことを「まゆみ」と呼ぶことがあったので、「“まー”のまゆみ? それとも“まゆみ”のまゆみ?」と聞き返すことがあったな。

 高校卒業を待たずに、まーはロスに引っ越して行ったが、その後も手紙や電話で付き合いは続き、大学に入る時はみんな同様に日本に帰国してきた。そして一年早く帰国して大学に入学していた有美を追うように、まーも公美も早稲田に入学。そのほかの友達もほとんどが早稲田に入った。私一人が慶應に進んだが、だからと言って付き合いがなくなるわけではなかった。

 帰国後は私達3人に有美を加えて4人でいつも遊んでいた。ドライブに行ったり旅行に行ったり、お互いの家に遊びに行ったり...。それが途切れたのが大学を卒業する頃。まーが私達3人から遠ざかって行った。思い当たることは2つあった。一つは4年の夏にした旅行のこと。4人で計画していた旅行だったが、まーの都合がつかず、日程変更を要求されたが、もともと「今回の旅行は既に就職している有美の夏休みに合わせて」ということだったので、そのまま3人で行った。そのことで彼女がヘソを曲げていたのはわかっていたけど、それはいつもの彼女のわがままで、一時的なものだと誰もが思っていた。

 もう一つは就職活動がらみの話。就職活動をしていた私達と、していなかった麻由美の3人で会っても、彼女は話題についていけず疎外感を感じたのは事実だろう。が、最終的にはいろいろあって、麻由美がヘソを曲げるというよりは、公美の方が腹を立てる結果になっていた。

 そんなこんなで一時的に離れはしたけど、またいつか笑って話せる日が来ると思っていた。
 就職して2年目の6月に私は結婚し、その時、当然のように麻由美を披露宴に招待した。これをきっかけにまた、今まで通りに付き合えるようになるだろうと思っていたのに、麻由美は来なかった。招待状に対して欠席の返事もくれなかった。この時私は「何が気に入らないのかわからないけど、そこまですることないじゃん」と腹を立てると同時に、とても悲しい気持ちになった。もう麻由美とは会えないのかな、と。

 それからは自分から麻由美に対して働き掛けることをしなかった。有美は職場が近かったので、「お昼ご飯を食べよう」と何度か誘ったらしいが、その度に断られたとのこと。本当に一体何が気に入らなかったの?

 麻由美が結婚したことも、既に子供がいたことも、今どこに住んでいるのかも何も知らなかった。旧姓「山崎麻由美」が「立花麻由美」の名前で葬儀が出ると聞いて初めて「ああ、立花さんと結婚したんだ」と思った。立花さんとは直接面識はなかったが、大学時代からずっと付き合っていた彼だった。その頃からとても仲が良く、いつもしあわせそうだったから、立花さんと結婚したってことは、あれから10年、とってもしあわせだったんだろうな。

 公美はまだ独身。今のところ結婚のあてもなく、私も一度は結婚したが、今は独りで同じくあてなし状態。有美は結婚し、一児の母となっているが、仕事もしているので結構大変そう。麻由美は...何も連絡はなかったけど、きっとしあわせな専業主婦になっているんだろうな、と想像していた。だって、誰よりも「奥さん」が似合いそうなのが、“まー”だったもん。

 会えなくても、どこかでしあわせに暮らしていてくれれば、それでよかったんだけど。生きていればいつかきっとまた笑って話せるようになると、心の奥で信じていたから。

 昨日、知らせを受けてから、どうしても公美と話したかった。公美は社員旅行で沖縄に行っていて、連絡が取れないと有美が言っていた。携帯はもっていて、鳴るんだけど、出ない。
 有美からの知らせを受けた時、公美はとめどなく泣いたらしい。私も泣きたかった。私はみんなと一緒にいたし、今、泣いても急いでもどうにもならないことだからと思って我慢していた。それでも時々、涙がこぼれたけど。

 夜中の2時を過ぎた頃、公美からようやく電話が掛かってきた。悲しみも悔しさも、麻由美の胸のうちを聞けずじまいになってしまったことに対する苛立ちもすべて、公美は私と同じ思いをしているだろうと思ったから、一緒に泣きたかった。そして、無言のお別れさえもできない公美に対して、一言何か言ってあげたかった。
 でも、なんだか、二人とも言葉少なで、沈黙が多かった。大泣きすることも出来なかった。公美が繰り返し、「あんなにいっぱいいっぱい遊んだのにね。あんなにいっぱいいっぱい笑ったのにね」と言う。その後に続く言葉が何なのか、私も公美もよくわかっていなかった。ただ、ただ、悔しくて。仲たがいしたまま、この日を迎えてしまったことが...。

 まーが何故死ななければいけなかったのか。そんな悔しさもある。「産後のひだちが悪くて...」という言葉は聞くけど、今の医学で助けられないようなものなのか? 何だかいまだに信じられない。遺影の麻由美は全然変わっていなかった。葬儀の時にちょっと古い写真を使うこともあるけど、さすがに10年も経っていれば少しは変わっているかな、と思っていたが、昨日の夜、引っ張りだして見ていた高校時代の写真と比べても、ちっとも変わってなかった。

 一緒に笑い転げていた頃と同じ顔で、二児の母になり、そして今、これからという時に、その子供達を残して逝ってしまった。底抜けに明るくておしゃべりだったまー。今日の葬儀の時に立花さんが挨拶で言っていたように、彼女には両親やまわりの人の大きな愛情に包まれて育ってきたんだなぁと思わせる明るさや素直さがあった。葬儀に参列できなかったおばあちゃんからの弔辞にあったように、独特の甲高い声をしていた。

 まーの声がもう一度聞きたい。みんなと別れてから有美とそんな話をしていた。昨日の夜、まーの声を録音したものがあるような気がしたが、それが何だか思い出せなかった。高校3年の時に撮った映画にはまーは写っていない。思い出せないまま今日を迎えたが、有美に「典子、テープ取ってたじゃん」と言われて思い出した。そして今、掘り出してきたテープを聞いている。最初の1本は公美と麻由美と私の3人が集まっていた時のもの。かなりハイになってゲラゲラと笑っている。つい、つられて笑ってしまう。

 昨日の夜、写真を引っ張り出して見ていたが、その時最初につかんだ写真の束が偶然まーばかりが写っている写真だった。その中から一枚。私とまーのベストショットをここに掲載しよう。


 そしてこれが日本人学校の遠足の時、まーを中心にみんなで撮った写真。前列左から、千穂、陽子、麻由美、有美、公美。後列左から久美子、真弓、私。この中で、くーこ(久美子)と陽子には連絡が取れなかった。この2人はすっかり消息不明になってしまっている。


 NY時代の関係者で葬儀に参列したのは、ここに写っている私、有美、真弓、千穂の他に、礼子、志保、カズで計7人。連絡は取れたが来れなかった人が公美を含めて4人いた。みんながお互いの連絡先を知っていたわけではないが、いくつかつながっていた細い糸を辿ってこれだけの人に連絡をつけた。水曜日(4/21)に亡くなって、金曜の夜まで自分に伝わって来なかったことに最初は苛立ちを覚えたが、よく考えたら、これだけ疎遠になっていながらよく連絡がまわってきたな。「ありがたいことだね」と有美と話した。

 結局、私達に話をつないでくれたのは千穂だったのだが、多分私が連絡先を知っている人達は誰も千穂とは最近付き合いがなかった。もちろん麻由美とも。ただ、千穂と真弓が半年前に電車の中で偶然出会っており、その時の話から真弓の勤め先を覚えており、代表番号に電話して真弓に辿り着いたらしい。千穂自身も麻由美と最近連絡を取り合っているわけではなかったが、大学で同じ学部だったため、その仲間から伝わってきたという話。本当に細い糸だった。

 連絡を受けた人は皆、同じ行動を取った。昔の写真を引っ張りだして彼女を偲ぶ。参列できなかったクラスの男の子に電話を掛けた時も「今、アルバムを見ていたところだ」と言っていた。
 まーを偲ぶ材料はたくさんある。高校時代、何かというとみんなでノートにいろいろ書き込みをしていた。それも手元に残っている。声も聞ける、写真もある。でも、まーはもう私の問い掛けには応えない。「何故離れていったの?」と問い掛けたい。あそこまで私達を遠ざけた理由は、どこか別なところにあると思っている。知らず知らずのうちに傷つけてしまっていたなら謝りたい。そして、離れていてもいつまでも友達のつもりだったよと、伝えたい。

 ねえ、まー。聞こえるかい? 私達の世界では公衆電話は見えないけど、天国とここをつなぐ電話があるならば、かけてきてよ。声だけでいいから、もう一回だけ、話しをしようよ。いや、ちょっと恐いかな。電話が鳴って、まーの声が聞こえてきたら。
 いつか、通信技術がもっと進歩して、天国への電話が当たり前になったら、きっと掛けるからね。(1999/4/24)

あなたの足跡を残そう!
  


Back to Index




This page is maintained by Noriko Takahashi