My Life Story PART2
High School Days(1981-1985)
1981年 | 9月 | 現地校の高校に入学(9年生なので、日本の学年では中学3年生)。 |
1982年 | 3月 | 日本人学校の中学の卒業式の日、大勢でうちに集まって泊まり込みのパーティを開く。 (生まれて初めて記憶のない夜を過ごす) |
4月 | 日本人学校で高校に進む。生徒と教師の反対を押し切って、学校側がNY校とNJ校を分離させたため、反乱が起きる。私は多くの友人をNY校に残したまま、NJ校に通い始める。この時のもめ事を通して、少しものを考えるようになる。(中学の時はただの“悪ガキ”だった) 高校1年のクラス委員を務める。YMCAの日曜スポーツ教室の指導員を始め、以後帰国まで3年間継続。 |
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7月 | 15歳の夏。4年ぶりに一時帰国。大人(?)になって初めて日本を見る。いろいろな人と出会い、いろいろなことがあった。きっと一生忘れられない夏になるだろう。 (この時つきあい始めた彼氏(ICR)を、24歳で結婚するまでの9年間引きずることになる) | |
9月 | もう一度日本に行きたくて、アルバイトを始める。目標1000ドル。 ここから約半年間、2〜3日に1度のペースでAir mailを出す。(合計100通ほど) だけど、返事は1か月に1回あるかどうか、というペース……。 |
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1983年 | 4月 | 遠距離恋愛の孤独に耐えられず、別れを決意。ずっと仲間だったSeijiと急接近したのが、直接の原因。 |
6月 | SeijiのProm(高校卒業パーティ)にパートナーとして出席。 | |
7月 | 高校2年の夏(16歳)。現地の日本人相手の日本YMCAのキャンプのJr.Leader(指導員)として1か月間、20人のLeader陣で100人の子供の面倒をみる。 | |
8月 | 日本の彼に別れを告げるために一時帰国。 でも、夏の間はつかのまの夢を見ることにした。 |
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11月 | Seijiが大学に入って、会えなくなったため、「会えなくて悪いから別れよう」と言われる。「そうだね」となぜかあっさり引き下がる。 | |
1984年 | 2月 | 17歳になると同時に運転免許を取得。 |
4月 | 日本人学校のNJ校、中学・高校統一生徒会の会長に就任。 | |
春〜夏 | ライフガード育成コースに3か月ほど通い、ライフガードの資格を取る | |
8月 | 2度目のYMCA Campに参加。リーダー仲間の人間関係に悩む。 が、同時に真美という貴重な友人もできる。彼女とともに一夏の冒険を味わう。 |
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秋 | 日本人学校の文化祭のために映画の撮影開始。 | |
11月 | 忘れもしない11月11日。撮影帰りに事故る。大パニックだった。 | |
12月 | 夏のキャンプで出会った誠が日本から訪ねてきて、真美と3人でスリリングでエキサイティングなクリスマスを過ごす。 | |
1985年 | 3月 | 映画、クランクアップ。文化祭の当日早朝まで編集作業は続く。結果は予想を遥かに上回る大盛況。 そして卒業…。 |
6月 | ハイスクールを卒業。帰国の準備を始める。 | |
8月 | 大学受験のため、単独帰国。3年前に帰国した二番目の兄との共同生活が始まる。 |
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