My Thoughts - File #1 :“帰国子女”であるということ (1998.09.16)


■鳥にも獣にもなれない“コウモリ”

 アメリカにいた頃、私は自分が“日本人であること”を強く実感した。離れていた分、アメリカにはない日本の文化、日本の良い面・悪い面が良く見えて、日本にいたらきっと感じなかった、自分の中にある“日本”を感じたのだ。
 11歳の時から7年もの間アメリカで暮らしても、どうしても馴染めない部分も多く、日本に恋い焦がれていたことを覚えている。アメリカに渡ってから最初の1年間は、毎日泣いて暮らしていた。親の仕事で、幼い私には選択の余地もなくアメリカに連れていかれ、言葉も文化も違うところに放り込まれ、本当につらかった。自らの意志でアメリカの地を踏んだ留学生達とは根本的に違うと、私達駐在員の子供達は考えていた。次第にアメリカでの生活にも慣れ、毎日を楽しく過ごす術を覚えたが、それでもこの思いはずっとついてまわった。
 人格形成のための重要な時期をアメリカで過ごし、11歳の少女からいつしか大人になった私にはアメリカ文化がたくさん詰め込まれている。それでもやっぱり自分は日本人だ。譲れないものもたくさんある。そんな風に感じながらの帰国となった。
 しかし、いざ、日本に帰ってみると、今までの恋い焦がれていたような甘い思いは消え去った。まずは強い不安が私を襲った。11歳の時、全く知らない文化に放り込まれた時と同じ不安、いや、今度は同じ黒い髪の、同じ日本人の顔をした私が、ここでどう受け入れられるのか。外国人と違って、まわりの反応は容赦ないものだろうと考え、これはアメリカに行った時は感じなかった恐怖だった。
 ひとたび不安を感じてしまってからは、おもてを歩くことすらつらかった。自分の着ている服は浮いていないだろうか、今の自分の発言はおかしくないだろうか、顰蹙を買ってないだろうか....不安は尽きなかった。このタイミングでノイローゼになる帰国子女も少なくないらしい。
 しばらくして受験のため、予備校に行き始め、自分の居場所が、毎日通える場所ができたことが私にとって大きな救いとなった。また、ここは帰国子女用の受験コースだったため、世界中から同じタイミングで帰国した子達が集まっていたため、ようやく息が吸える空間ができたという感覚だった。
 翌春から大学生活が始まり、自分達の行動が普通の日本人にどのように映るかがわかってきて、対処方法も徐々に学んでいった。「日本ってのはこういうところなんだ」ということがわかったものの、一度矯正された性格はもう変えられなかった。
 結局、何とか生きていく術は覚えたものの、この地でも自分の半分は“どうしても馴染めない”部分を持ってしまっている。そしてアメリカに戻っても...残りの半分がアメリカを拒絶する。
 要するに、見方によってはどちらの仲間にもなれるけど、逆に言えば、完全にはどちらの仲間にもなれない。そんな“コウモリ”が出来上がってしまったのだ。




■時は誰の上にも公平に流れていく

 「帰国子女だ」と言うと、羨ましがる人が多い。好奇心丸出しで質問攻めにあうことも多かった。私が私だからではなく、“帰国子女”だから興味をもって近づいてくる人もあとを断たなかった。正直言って、そんな状況に私は辟易していた。適当に相づちを打つことを覚えた私だったが、心の中ではいつも反論している。

「英語、ペラペラなんでしょ? いいなぁ」
(アメリカに行けば自動的にしゃべれるようになるわけじゃないよ!毎日毎日うんざりするほど勉強したんだよ!)

「人と違う高校生活をしてきたんでしょ? いいなぁ」
(だけど、誰もが当たり前に経験していることをしてないんだよ、私は。輪の中に入れないんだよ!)

「何だよ、お前達“帰国”は受験、楽なんだろ。ずるいよ」
(そんなこと言ったって、私達の受験は小学校から12年間の成績を見られるんだぞ。1年間猛勉強したって取り返しはつかないんだよ)

 「いいなぁ」とぼんやりと羨ましがるだけならまだしも、ねたまれるとかなわない。私は今、人生の大事な時期をアメリカで過ごしたことを後悔していないけど、それは自分で選んだことではないし、幼なじみと一緒に過ごせなかった7年間は取り戻すことは出来ない時間なのだ。この時間を共有してないからこそ、今「理解できない」ことがたくさんあるんだ。“当たり前”のことがわからないんだ。頭ではわかっても、心ではわからない。
 でも、11歳も12歳も13歳も、どの年齢の時間も誰にも同じ一年間だけ与えられていて、同じ瞬間に2つのことはできない。何かをすることを選べば他ができない。「帰国子女」というラベルを貼られ、いろんなことを言われるうちに、そんなことについて深く考えさせられた。だから私は今、今後の人生のすべての瞬間を自分で選択して生きて行きたいと思っている。あとから後悔しないように、一瞬一瞬、納得のいく選択をしていく。例えば、今、寝るか、それともこうして書き物をするのか、そんなつまらないことでも「自分で選んだ」という意識を強く持つようにしている。自分が選ばなかった時間を体験した人を羨ましがることも、自分が選んだ時間を悔やむことも決してしまいと思っている。




■「差別」に対する意識

 「帰国子女」というレッテルでものを語られるのも一種の差別だと考えている。私の性格を「“帰国”だから」と言われた時、私はできるだけ否定することにしている。その人が知っている帰国子女は私だけで、私は他の人と違うと感じたからそう言うのかもしれないが、私は沢山の帰国子女を知っていて、人それぞれの個性がある。私の個性を「“帰国”だから」と語るのは私だけではなく、すべての帰国子女の個性を無視しているのと同じだ。確かに帰国子女に共通する雰囲気はあるかもしれない。でも、それをあまり強調されるのは嫌だ。良いことでも悪いことでも。
 差別と言えば、アメリカに行った時は本物の人種差別を経験した。「アメリカは自由の国」「人種差別はしない」と主張し続けているが、そんなことは全くない。ひどい差別がある。私自身はそれほどひどい経験はしなかったが、地域によっては人種差別によるいじめがひどくて転校を余儀なくされた日本人の友達もいた。
 「日本人であること」、それは自分ではどうにもならないことだ。そのことが障害となる事情がない限り、自分では変えられないことを理由に人を分けてはいけない。絶対に。
 また、外から日本を見ていて感じたことは「不良」という言葉による差別だ。人と違うことをする子供を「不良」と呼び、信じない、取り合わない、忌み嫌う。そんな日本文化が大嫌いだった。十人十色。人は違うものだ。良いも悪いも見る人の価値観に照らし合わした時の主観的なものでしかない。個性を重んじるアメリカ文化は「レッテルを貼る」ということに対する私の意識に大きく影響している。




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