今日、アクセサリー屋の前を通った時、「三連リング1000円」というバカ安のポップが目に入った。“三連リング”...とても懐かしい響きだ。私が大学一年生の頃、こんな話があった。
「10代のうちに好きな人から三連リングを贈られると、その人はしあわせになれる」
そんなジンクスをまじめに信じるわけじゃないけど、その頃は彼もいたことだし、すごく「欲しい」と思った。一度欲しいと思ってしまうと、なんだかもらわないとしあわせになれないような気がしてきて焦った。
大学入学した時、私は19歳で、一年生の冬、2月に20歳になるところだった。問題は彼氏がケチだったとか、そういう話ではなく、「三連リングが欲しい」とねだってしまったら効力がない、という但し書き付きのおまじないだったということ。
それでも何とか相手に気づかせようと少しずつヒントを出してみて、晴れてクリスマスには指輪がもらえた。「やったー!」と思ったが、箱を開けてみるとそれは三連リングではなかった。センスのいい石つきの指輪だった。
うれしい。でも残念。次のチャンスはない。「もうダメだ」と思った。
そして2月。私はいつもサークルのスキー合宿中に誕生日を迎える。その年もそうだった。
2月12日、誕生日の前夜、彼から宴会を抜け出して彼の泊まっている部屋に来るように言われた。12時前、ギリギリ19歳の時、「ちょっと早い誕生日プレゼント」と手渡されたものは今度こそ、間違いなく三連リングだった!
「ありがとう!! あなたは私の一生のしあわせを保証してくれました。きっとしあわせにしてくれるのはあなたじゃないだろうけど」と思いました。いや、冗談抜きで。
彼のことはマジで好きだったし、すごく嬉しかったけど、これは彼自身が私に何かを約束してくれるものではない。ただ、この瞬間「好きな人から」という条件のもとでは彼からのプレゼント以外ではダメだったから。その望みを叶えてくれた彼にとっても感謝した。それ以上は望まなかっただけ。
指輪の受け渡しの後はラウンジに降りて、サークルの仲間から12時ちょうどの“Happy Birthday!!”をもらった。それは私の今までの人生の中で一番ステキな誕生日だった。
“三連リング”。この響きには、そんな夜の思い出が封じ込められている。
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