“火を見るより明らか”という言葉がありますが、この話はそれとはまったく関係がありません。
本日のわたくしは酔っ払いであります。酔っ払うことはしばしばですが、こんな風に酔っ払うのはなんだか久しぶりな感じです。どうして“こんな風に”酔っ払ったか、は置いておいて、今の私の気分を、指のおもむくままに書いちゃおうと思います。多分、アップは今日じゃなくて、しらふの時でしょうが、推敲せずにそのまま載せたいと(今は)思っております。
まず第一に、とっても眠い!です。そもそも今日は目覚めが悪かったのか、一日中とぉ〜〜〜〜っても眠かったっす。でも、先ほどの飲み会(チャレメのアフターですね)では、今日一日の中で唯一目覚めていた時間と言えるかもしれない。
そして第二に、というか、今の気分。それは“火を見たい”。
“火を見る”って感覚、皆さん、ありますか? よく女の子は酔っ払うと「海が見たい」なんて言いますが、私もそんな気分になることもありますが、今は“火”なのです。
これはある種の性癖というか、その人その人の趣向(この言葉でいいのかなぁ)なんだと思うけど、世の中には“火を見つめるのが好きな人”ってのがいると思うんだ。そんなことを考えていたら、意識は遠い(10年以上経ってたら遠いと言っていいよね)昔、高校時代の頃に飛んでしまいました。
ここで少し背景説明。私は高校時代、正確に言うと、高校2年の夏から始まって三年間、つまり、高校を卒業した夏を含めた三年間、アメリカで日本人の子供達 (小学校4年生から中学3年生まで)を対象としたYMCAのキャンプのリーダーをやっていたんです。で、そのとき、100人の子供達に対して、大学生10人、高校生10人、計20人のリーダーがいたわけですが、そのリーダー達の生活の中には独特の空気が流れる時間があったのです。
リーダー達は、大学生&高校生。だから、今から考えりゃまったくをもって“子供”なのかもしれないけど、本人達は結構“大人”のつもりでした。で、9時の消灯時間までに、何とか子供達に日記を書かせ、寝かしつけ、寝静まった頃に活動を開始するわけです。
1か月の長い団体生活の中、日中は常に子供達に目を配っていなくちゃならなくて、子供たちには大人の理論は通用しない。だから、話をしていてもいつも真剣勝負でとっても疲れるんです。だから、夜のリーダーだけの時間ってのがとっても貴重なわけ。
なんだか話が別の方向にそれて来ているようなきがするが...。本筋に戻そう。
“キャンプ”という性質上、私達は火を焚く機会が多かった。合同のキャンプファイヤーはもちろん、普段は食事は食堂で食べるんだけど、順番に自然の中で自炊をする機会を持ったり、いつも寝泊まりしている山小屋を出て、半野宿のようなことをしたりします。その時は必ず火を焚きます。
自炊の時は食事を作る時間のほんのひとときだけど、野宿の時は一晩中火を絶やさないようにします。
リーダーはひとつの班につき2人なので、2人が交代で火の番をします。片方が火の番をしている時は、片方は寝ているので、結局一人で夜の半分を火と二人っきりで過ごすことになります。
火を見つめながら、声に出すとみんなを起こしてしまうので、心の中で火と会話をします。いや、特に言葉がそこにあるわけじゃないんだけど、とにかくずっと火を見つめているわけだ。
なんだかドキドキするのよね。一度おこした火を絶やしてしまうと、またおこすのは一苦労。しかも、私の場合はその日雨が降ってしまい、外にある天然の薪(たきぎ)が湿っていて使えなくなっていたので、雨にやられる前に確保した分を大事に使わなくちゃいけなかったの。火をもう一度おこすとなると無駄な薪も使うし、それは絶対駄目!って感じだったの。だから、絶やしてはいけないけど、ぼーぼー燃やしてもいけない。細々と、確実に火を焚き続けるわけだ。
そんな静かな緊張感の中で(はっきり言って、火を絶やすと凍えそうな気候だったのよ)、黙〜〜〜って火を見つめている。そうすると段々と火の中に引き込まれていく感じになるの。
繰り返される模様のようで、二度と同じ表情をしない火。時々パチパチと語りかけてくれるけど、居眠りなんかした日にゃ、あっと言う間にフェイドアウトしちゃうし、調子に乗って薪をくべりゃ、“バチッ”と激しい火の粉を飛ばしたりする。
そんな表情豊かな“火”に見せられた人種が私。そして、その頃一緒にリーダーをやってたみんなもそうだった。
「こういうのを“パイロメニア”って言うんだよ」なんて話をしていたけど、その言葉は今辞書を調べてみたけど載っていなかった(だからスペルがわかんない)。「メニア」は日本語で言う「マニア」だろうな。「パイロ」が“火”を意味するんだろうけど、とりあえず今は資料なし。とにかく、私の頭の中にはこの言葉と、あの火を見つめる感覚がセットで、かなり鮮明というか強烈な印象として残っているの。
分析的に言うと、“火”には何やら“癒し”の感覚があるの。“水”もそうかもしれない。私は水も好き。でも「海が見たい」とは言わない。
言う前に自分で行くし(本当にそうしたいなら)、どちらかと言うと“海”よりも“川”の方が好き。川のせせらぎを聞きながら火を焚いて、それを一晩中黙って見つめる。これが理想かな。
実家にいた頃は、庭でよく焚火をしていた。でも、今はそんなチャンスは全然ないのよね。だからせめて、煙草の火の、吸い込んだ瞬間の明るく点る火種を見つめる。そんなことしかできないのさ。
誰か私に焚火をさせてくれ〜〜〜〜〜ぃ!
(1999/4/5から6日になった頃)
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