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特別編:介護日誌

2/17(水) 介護四日目
 予告通り、月曜日に飲み込みの検査をして、火曜日には鼻から食道に入っている管が抜けた。病院からは食事が出ず、マナちゃんが玉子粥を用意して持っていった。
 叔父ちゃんに朝食を、というわけで、私達は朝食抜きで出かけた。

 話によると、土曜日に尿道に入っていた管も抜いてもらったとのこと。このため、付き添いの仕事は増えたけど、着実に“普通の生活”に近づいている。ただ、本人は相変らず元気がなく、「おはよう」という呼びかけには少し反応したものの、まぶたひとつ動かさない、まったく無反応な時間が一日の大半を占める。

 そんな様子とは裏腹に、食事だけはきっちりと食べてくれる。意外なほど元気に。
 お粥をスプーンに乗せて口に運ぶと、ちゃんと口も開けるし、よく噛んで食べている。一回、むせたけど、飲み込みはおおむね順調。結局、用意してきたお茶碗一杯分のお粥をきれいに食べつくして、その上デザートの牛乳プリンもせ〜んぶ食べた。

 回復は本当にゆっくりで、今の段階では本人も付き添いの私達も回復のために積極的に出来ることがあまりなくて、それが少なからずお互いのストレスになっている。だから、今回流動食から経口食に切り替わったのはとっても大きなステップアップと言える。積極的に病気と戦える術がひとつできたって感じ。

 食事の時、最初は私が口に運んであげたんだけど、これもやっぱり自分でやってもらいたかったから、スプーンを握らせたら、なんとか自分でお粥をすくって口に運んでた。ただ、手元が不安定だから、スプーンを落としてしまったり、ちょっと角度が変わるとスプーンからお粥が落ちちゃうので、こっちはハラハラしっぱなし。

 できるだけ、「自分でやっている」という感覚を持ってもらいたかったので、なるべく本人にはわからないように、そっと軌道修正をしてあげた。手元が不安定とは言え、お粥をすくう時は一生懸命入れ物の方を見て、口に運んだタイミングで口を開ける。こういうバランスの取れた動きが見れることは少ないから、とっても嬉しかった。

 その動作はとってもゆっくりで、その上、あまりにも危なっかしいもんだから、マナちゃんはしびれをきらして「食べさせてあげる」行為に入ってしまった。「たくさん食べて栄養をつけてもらうことが大事だから」と彼女は言うんだけど、私は「時間はたっぷりあるんだから」とそれを制して自力でやってもらうようにした。そしたらしばらくしてふと眠りに入りそうになり、「こりゃヤバイ」と思って、残りは結局「食べさせ」ちゃいました。

 長い時間をかけて朝食を終えると、もう10時半。朝食を抜いた私達はお腹ペコペコ。お昼にはちょっと早いけど、と昼食を食べに出かけた。その時入った中華料理屋で、お粥のテイクアウトをすることを思いつき、いろんな具が入っている「五目粥」をお持ち帰りした。

 「ただいま〜」と病院に戻り、早速昼食。でも、その前にしものチェックをしたら、すっごく濡れていた。おしめは何重にも重ねてあるんだけど、全取っかえしなきゃいけない状態。朝のシーツ交換の時、食事をしていたため、「後でね」ということになっていたので、ついでにシーツ交換および体位変更もしてもらおうとナースコールをした。

 私達は「完全看護」なはずなのに、どうしてこんなになるまで放っておいたんだ! っていう怒りの意味を込めてナースコールした。だけど、そうは言わなかった。「下まで濡れちゃってるんでちょっとお力を借りたくて...」とやわらかく言ったマナちゃん。でも、やってきた看護婦さんはあからさまに嫌な顔をして、まるで「そんなことで呼ばないのよね」と言いたげに「ああ」と一言いって去っていった。

 いったい何処にいっちゃったんだろ? いつ来てくれるの? 一回ナースコールしちゃったわけだし、もう押せないじゃん。何か取りに行ってくれたの? それとも「今ちょっと手が離せないからちょっと待ってて」って事なの? それならそうって言ってよね。そのまま自力でやれって言うならやるし...って、余計に腹立ってしまった。

 結局、その看護婦さんが戻ってくるのを待って、シーツ交換まで全部やった。
 一段落したところで昼食。市販の中華粥はマナちゃんの作ってきた薄味玉子粥に比べてものすごく味が濃かったようだけど、叔父ちゃんはおいしそうに食べてくれた。
 大きな具がたくさん入っていて、ちゃんと噛みくだけるか、ちょっと心配だったけど、大きな海老とか、プリプリした歯応えが却ってよかったみたい。

 食事の途中に叔父ちゃんが二本指を出す。これは「おしっこしたい」のサイン。土曜日に管を外してからは、「したくなったらサインを送る」が本人の仕事。そしたらシビンを準備するのが付き添いの仕事。食事を中断してその作業に入ったけど、一向に尿が出る気配がない。

 しば〜らくそのまま待ったけど、出ないから諦めようと何度も思った。「出そうで出ない?」って聞くと、「出そうで出ない」と返ってくる。こういうオウム返し的な言葉は結構出てくる。また、「やめにしとく?」と聞くと「やめにしとかない」と答える。こっちの質問の「?」の部分を取ったり、最後を否定形にしたりして返す。だから単なるオウム返しではないと思うんだけど。

 結局、この時はおしっこは出ませんでした。

 尿道の管が取れたのはとっても喜ばしいことなんだけど、こうして私達に“下の世話”をされるのはきっと叔父ちゃんにとってはひどく屈辱的な事なんだろうな。おむつ交換の時に看護婦さんに二人にタオルケットとゆかたとおむつをひっぺがされて、その状態で「どうしようか」なんて呑気に相談されちゃあ、あまりにも気の毒で、マナちゃんが前の部分にそっとゆかたをかけたりしてた。多分、看護婦さんはそういうことに対する感覚がマヒしちゃってるんだろうな...。
 その時叔父ちゃんは話しかけても全く反応がなく、「また反応なくなっちゃったよ」とマナちゃんに言ったら、彼女は苦笑しながら「死んだふりしたくなる時もあるよ」と言っていた。なるほど、そうなのかも、と思った。

 少しは良かった話もしよう。
 随分前からお気に入りのゴムボール。今日はそれを投げた!今までは「投げて」とリクエストを出しても決して投げなかったんだけど、今日はポーンと投げて1メートルくらい飛んだ。ただ、その投げ方は普通とは逆で、手首を手の甲の方向にスナップして手が開いた状態でボールを離す。そこで、「それ、なんて投げ方?」と投球方法の名前を聞いてみたら、「なんだかわかんない」とオウム返しじゃない答えが返ってきた!

 そのほか、「リハビリの先生、来た?」って聞いたら、「リハビリ?」と尋ね返してきた。こういう会話も今まではなかった。「そう、リハビリ」って返したら「まだ。」と言う。ちゃんと会話になって喜んでいたら、マナちゃんが「来ていても来てないって言うからなぁ...」と記憶の曖昧さを指摘した。以前、そんなことがあったらしい。

 食事というイベントがひっきりなしにあったこともあり、今日はわりと長い時間起きていた。
 鼻の管が取れてすっきりした筈なのに、しきりに鼻を気にしている。ティッシュを渡したら、こよりのように指で丸めて鼻をグリグリしている。ああ、なんだか普通の人みたいだ!と妙に感激。
 鼻の中が結構汚れているようだったので、綿棒で掃除してあげたら気持ちよさそうにしてた。

 ここのところずっと心配しているのは、どんどん言葉が少なくなっていること。管が抜けたらもっと話易くなるのかと期待していたけど、相変らず声が出ない。口ははっきりと動いているのに、口に耳を付けないと聞き取れない。前は時々大きな声でしゃべっていたのに...。
 肺炎で熱が出ていた時は、啖がひどくてこれも声を出にくくしている要因だと思っていたのに、肺炎がおさまって呼吸も楽になっている様子なのに...。なんでやろ?

 また、聞こえるように話すかどうかは別として、何かを伝えようという努力を感じる瞬間が少なくなっている。これは、前回の話にあったような「絶望感」から来るものなのか?
 調子のいい時の話しぶりを見ると、「やればできるじゃん」と思ってしまう。それに対して、あの「まったく無反応」状態は何なんだろう...。「やる気」の問題だとすると、「無視」されてるの? って思うと、「何で無視するんだよぉ〜〜」って思うけど、どうやらちょっと違うみたい。
 脳梗塞の症状として、「パーキンソン症候群」ってのがある。映画「レナードの朝」に出てきた「パーキンソン病」と同じような症状だからそういう名前なんだと思う。端的に言うと、体中がとっても細かく震える。傍で見ている人には見えない程小さく、たくさん震える。それによって、体の自由が奪われ、見ている人にはその人の時間が止っているように見える症状。それは突然やってくるらしい。急にピタリと動きが止ってしまうんだ。
 パーキンソン病はその発作の間隔が段々と短くなって、そのうち臓器も動かなくなっちゃう(=つまり、死んでしまう)という恐ろしい病気みたいだけど、「症候群」の方はそういう心配はないだろう。

 今回も自力ひげ剃りに挑戦した。これは良くも悪くもなっていないって感じかな。前と同じくらいの不安定さではあるけど、一応やってくれる。そういうレベル。
 今、これが出来るんだから、一週間後にはもっと安定的に出来るようになっていて欲しい、って思ってしまうんだけど、なかなか進歩が見られない。とってもFrustratingだ。

 やっぱり少し、本人のやる気も関係しているのかな? つらいのは当然だろうから、心のケアも考えなきゃ。今日は反応がない時でも一生懸命話しかけるようにしてみた。それも、今この瞬間何をするって話ではなく、「きっとよくなるからね」とか、「これが出来れば大丈夫」とか。まあ、要するに励ましの言葉ね。簡単そうに聞こえるかもしれないけど、無反応な人に話しかけるのってすごく難しい。

 そうだ。今日はもうひとつとっても嬉しいことがあった。前述の「出そうで出ない」の時、一生懸命がんばっているのか、体中が小さく震えていた。まるで貧乏ゆすりをしているように。その時、上半身と一緒に右足が動いていた! 右半身は脳の状態から言うと動いてもいいんだけど、感覚はあるものの、ずっと動かせなかったの。それが今日は動いた!

 一瞬、痙攣しているのかと心配になって、「それ、意図的?」と聞いたら「意図的だよ」と答えた。でも、「もう一度動かして」ってリクエストしても動かないんだけどね。
 左半身は医学的には絶対に動かないはずなんだけど、別の瞬間、何もしていないのに左の足が大きく動いた。タオルケットの下になっていたから、どっちの足が動いたのか確信が持てず、「ちょっと待てよ」と思って、左足をつかんだら、もう一度ピクッと足首から曲がる。これにはびっくりした。

 看護婦さんや、回診のお医者さんに言っても「反射でしょ」と言われる。それは「動くはずがない」と思われているから。確かに、私達が触っていて、反射が出る時はある。でも、この時はなんにもしてなかった。

 マナちゃんの日誌の中には左腕の筋がピクンとした、という記録も残っている。これは?!
 「もしかしたら」という期待を抱いてしまう。お医者さんは「う〜ん、自分の目で見てみないとねぇ」と言うけど、それに対してマナちゃんは「期待するのは別にいいですよね。もう一度がっかりすればいいんだから」と何やら哲学的なことを言う。
 お医者さんとしては、「動くはずがない」という思いと、「期待させたくない」という思いがあるんだろうけど、家族としてはやっぱり期待しちゃうよ。いい兆しなのかも、って。

 リハビリ病院への転院手続きも終わり、後はベッドが空くのを待つだけ。多分、1か月くらいかかるという話。それまでに「身体障害者」の申請を出しましょう、という話を主治医からされた。「2級は確実。うまくいけば1級かも」と言ってた。そりゃ1級の方がいろいろ補助もあるんだろうけどね、何だか変な感じ。
 今回はCO3があったので、いつもよりも3時間早い電車に乗って帰って来た。
 帰り際、同室の患者さんから声をかけられた。来週あたりに退院だから、次はいつ来るの?と聞かれた。この患者さん、4人部屋の中で唯一叔父ちゃんよりも前からいる人。隣のベッドの人は入ったと思ったらすぐに出ていっちゃったから、「軽い病気だったのかな?」と思っていたら、実はずっと個室に入っていて、よくなったから退院までの短い間、大部屋にいたらしい。
 今日、その人の後に新しい患者さんが入ってきた。外来に来たら「即入院」を言い渡されたらしい。叔父ちゃんはあと1か月くらいでここは離れると思うけど、それまでに何人が出たり入ったりするんだろう。退院することはまぎれもなく「いいこと」なはずなんだけど、何となく寂しいな。 (1999/2/17)

あなたの足跡を残そう!
  


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