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年末年始のアメリカダンス旅行の日記です。ほぼリアルタイムでアップしていたので、新着順にしていましたが、これから初めて読まれる方のために、古いものから読めるように並べ変えました。また、5日の日記が書きかけのままだったので、加筆しました(98/02/02)。
Chat Roomにはもっとリアルタイムに、ほとんど実況中継をしていましたので、そちらも併せてご覧ください。Chat Roomのログ番号#100〜142までです。
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1997/12/29 Mon.
【前置き】
26日に会社を休んでから、生活時間がいつもに増してぐちゃぐちゃになった。まあ、アメリカに行く前は、いつも徹夜をして時差を消しているんだけど、今回はあまりに長時間起きていたため、単なる寝不足になってしまった。(土曜日の午後から月曜日の午後、飛行機に乗るまでの丸2日間、ほとんど起きっぱなしだった)
【自宅〜成田】
荷造りもろくにしないまま、最新兵器(リブレット、新しいPHS)と遊んでいるうちに、朝が来てしまった。5時ごろからようやく荷造りを始めて、本当は前の晩から石神井の実家に泊まりにつもりだったのに、結局7時半過ぎに石神井に到着。出発予定時刻は8時から8時半頃。でも、関越を降りる直前に思い出した。「ビデオのバッテリー充電器を忘れた!」 これがなくちゃ、ちゃっくに約束したダンスのレポートが出来ない。仕方ない、一旦実家に行って、猫を置いてから、もう一度戻ることに。結局秋津を出たのは9時頃でした。
「遅刻するぅ」(そう、いつも私は遅刻気味)と思ったら、道がめちゃくちゃ空いていて、10時半には成田についてしまった。(本来の到着予定時刻は少し余裕を見て、11時半。ゆみちゃんとの待ち合わせは12時)。以前、こんな風にう〜んと早く着いてしまった時、成田市街に行ってパチンコをやっていたら、確率変動の大当たりが出てしまって、もう行かなくちゃいけないので、玉が出続ける、ああ、もう行かなくちゃ、と席を立とうとすると、店員さんが「お客さん、今やめちゃもったいないですよ!」と言われる。「でも、行かなくちゃいけないんですぅ〜〜〜」なんていう苦しい立場に立たされたので、今回はパチンコはやめておこう。リブレットというおもちゃもあるし、ということでさっさと空港内に入りました。
【成田にて】
ピッチ(PHS)からのアクセスは、朝までトライして駄目だったわけだけど、もう一度トライ。やっぱり駄目。しょうがない、とりあえずの通信を公衆電話からしてみる。(公衆電話からの通信も初体験)。公衆電話にはデジタルジャックとアナログジャックがあった。この時点で気がついた。ベッコアメはPHSからの通信に対応している、という情報を得た時点で満足してしまっていたんだけど、PHSからの通信ってデジタルじゃないか! っていうことはアクセスポイントの電話番号が違うはず。「これだっ!」と思って、ベッコアメのホームページにアクセス。案の定、専用のアクセスポイントが掲載されていた。
こうして私は、ゆみちゃんがたどり着いた時点で、ようやくピッチからの通信に成功したのであった。それから延々2時間ほど(チェックイン後)、レストランでだべっていたんだけど、カウンター席に2人並んで座って、私は自分のホームページにアクセスして、ゆみちゃんに見せてあげる。(ゆみちゃんは初めて私のホームページを見る)。で、もらった感想が「リブレットってすごいね。ちゃんとしたパソコンなんだぁ」。「....。」私のホームページにも感動してよね。
とりあえず、ここでビールを二杯ほど飲んで、2人はもういい気分。特に私は2日間寝てなかったので、まわる、まわる。Challのメーリングリストの方にも書いたけど、そんな「いい気分」の2人を待っていたのは「NW18便でNew Yorkに行かれる方ぁ!」という係員のお姉さんからの呼び出し。呼ばれた私たちは、とっても陽気に「はあ〜い!」と手を挙げてお返事。「お二人が最後のお客様です。お急ぎください。」だって。「申し訳ありませんが走ってください」と言われて、ゲートまでの通路をダッシュ。その間、お姉さんも一緒にダッシュしてくれているんだけど、何やら無線でやりとりしている。「あと15名」という言葉が聞こえて、ゆみちゃんが走りながら「な〜んだ、あと15人なんじゃない」と言ったら「違います!別の飛行機のことですっ!」って怒られた。怒らなくってもいいじゃ〜ん。
【機内にて】
機内に入って、きっちりとシートベルトを締めた頃、「最後のお客様がご搭乗になりました」とアナウンスが入り、少し恥ずかしい思いをしました。でも、その割にはすぐには飛び立たなかった。(以前、私が一人で同じような経験をした時にはシートベルトを締めたと同時くらいに、ビューンと飛び立ちました)。「そう言えば、夏の時も“最後の4名様です。お急ぎください。”って言われたよねぇ」なんて言っているうちに、2人ともすっかり寝入ってしまい、飛行機が飛び立つ瞬間すら自覚していません。もちろん、映画もまともに観れませんでした。「Father's Day」をやっていたので、これは観たいと思ったんだけど、途中から寝てしまいました。それでも、眞理子さんから「飛行機の中で2人で相談しておくように」という指令が出ていたので、一応CSC Newsの今後の記事についての相談は少しだけしました。
【アメリカ到着後〜おうちに着くまで】
現地時間の午後1時ちょいすぎ(日本時間では30日の早朝3時)。New York のJohn F. Kennedy International Airportに到着。いつになくスムーズに出てこれた。ゲートを出て、両親の顔を探すが、いない! と一瞬焦ったけど、すぐに入り口の方からパパが歩いてきた。やっぱり、私たちがちょっと早かったみたい。飛行機も予定より早く着いたみたいだった。しかし、飛行機の旅も速くなったもんだ。昔私が渡米してきた頃(ほぼ20年前)は16時間以上かかったところ、今は11時間だって。
Anyway, パパの車に乗ってから、私はひたすらリブレットで、challにアップするためのメールを書いていた。(家に着いたらすぐにアップしようと思って。ピッチがアメリカで使えないのがとても残念) 家に着く前にレンタカー屋さんに寄ったり、ちょっとお腹が空いて、BurgerKingに寄ったりして、ハドソン川沿いにあるマンションに到着したのはもう5時近くでした。
【おうち到着後】
とりあえず、「30日か31日にお会いしましょう」と話していた山田英さんに連絡を取る。その後、メールをアップしようとアメリカのアクセスポイントに接続したが、認証のところではじかれる。しかたないので、国際電話で入ってしまいました。
それからは、夕飯をどこで食べるかでパパとママの意見がずっと平行線でなかなか決まらなかった。だって、二人の気分が違うんだから、一致のしようがないよなぁ...。パパはせっかくだからちゃんとしたところに行きたい。ママは面倒くさいから近場で、着替えなくていいようなところに行きたい、と。結局近場のおいしい日本食レストランに行きました。サバがとってもおいしかった! 私はひかりものはあまり好きじゃないんだけど、このサバは絶品でした。涙がちょちょぎれた。ゆみぴーは「はまちがおいしい」と感動していた。「このはまちはどこの?」って聞いたら(昔、ボストンで水揚げされた魚の刺し身がとてもおいしかったことを思い出し)、なんと「日本から」だそうだ。で、ほかの魚についても聞いてみたら、「お魚はね、だいたい海からくるんだよ」と真顔で言われてしまい、もう笑いが止まらなかった。板さんの言い方が超おかしかったの。
ところで、レストランに行く前に持ち込み用のビールを買ったんだけど、6本で4ドルちょいだった。そりゃ、日本に比べれば安いけど、バージニアビーチ周辺では24本入りのケースが5ドルだったのになぁ...。なんで同じアメリカでこんなに物価が違うんだろうか。ママは「ここはNew Yorkよ、そんな田舎とは違うわ」みたいなことを言っていたけど、確か、ワシントンでもそれくらいの値段だったぞぉ(それに、ここはNew Jersey)。だけど、その隣のBagol屋さんは安かった。大き目のスーパーの袋程度の大きさのビニール袋いっぱいに入ったBagolChipsが1ドルちょい。安い!クリームチーズもいろんな種類があって、とてもおいしそう。サラダとかも含めて、いろいろ買っちゃった。(明日の朝食)
さて、お腹がいっぱいになって、また眠くなってきた。時刻は9時前。ゆみぴーは帰ってきて着替えて、すぐにベッドでスヤスヤと眠り始めた。私はママと一緒に日本語放送を見始めたんだけど、ほどなくソファーでスヤスヤと寝入ってしまいました。そして先ほど(夜中の1時過ぎかな?)目が覚めて、通信に再度挑戦。また、国際電話で入って、ベッコアメのカスタマサポートでクレジットカードの情報をもう一度流したら、今度はアメリカのフリーダイヤルにつなげることができた。やっぱり、日本にいる間に一度試しておけばよかったなぁ。ま、つながったので結果オーライ。ということで、今日はこの辺で。
1997/12/30 Tue.
【午前中】
寝てました。う〜んと早い時間はせこせことホームページの更新をしていましたが...。朝の6時過ぎに少し眠ろうと思ってベッドルームに行ったら、ゆみちゃんも目を覚ましていた。部屋を真っ暗にして、少ししゃべっていたら、しばらくして寝息が聞こえてきたので私も寝ることにしました。そして延々12時まで寝ていました。ああ、ちゃんと朝起きれるようにしないと、ダンスが始まってからがつらいぞ。
【ショッピングに行ってきました】
まずはシャワーを浴びて、それから遅い昼食。はっきり言ってランチですな。パパが今夜のディナーの予約をしてくれた。ロバート・デニーロのお店に行くことになりました。会えたら嬉しいな。
とりあえずはショッピング。まずはヤオハンで日常品のお買い物。おせち料理とかそういうもの。ヤオハンにはママとゆみちゃんが行って、私は車の中でメールの整理をしていました。それから近くのショッピングセンターに行って洋服を買いました。ゆみちゃんと「一年分の買い物」をする心構えで行きましたが、実際にアメリカのあの大きなカートに2杯分。それでも一つ一つが結構安いので、ゆみちゃんはしめて282ドル。私はもうちょっと品数が多かったので、385ドル(くらいかな?)。大きな袋にガサっと入れられて、まるでサンタクロースのプレゼントみたいです。
洋服を選んでいる間、いいと思うものを見つけてはお互いに見せ合い、「どう?」と言い、次のセリフは「いつ着るんだよ」。(今、これがキャッシュに入っています)。とりあえずは今夜着るのでしょう。ビデオを前にファッションショーかな。
その後は、隣のスーパーで少し買い物。ものすごく大きなスーパーで、結構楽しいからビデオを撮ろうとしたら、入り口付近にいたお兄さんに止められてしまいました。一切撮影禁止なんだって。ケチ。
【デニーロの店に行ってきました】
夕方、うちを出発し、マンハッタンのイルミネーションをみて、それからビレッジにあるロバート・デニーロの店(店の名前はTribeca Grill)に向かう、という優雅なスケジュールのはずだったんだけど、雪の結晶のイルミネーションがある57thstreetで大渋滞にはまってしまった。渋滞を抜けた後も、ダウンタウンの道はぐちゃぐちゃしていて、一方通行の方向もよくわからず、ぐるぐるとまわってしまい、もう店はあそこだ、と思っていても、そこになかなか辿り着けない。しまいにゃ、パパは「もうやめた!」とか言い出すし、ママは「だからあそこで曲がっておけば」とか、神経を逆なでするようなことばかり言うし、もうさんざんでした。でも、着いてみれば、皆、機嫌も直って、ナイスなお食事ができました。でも、メインディッシュが出てきた頃には私はもう強烈な睡魔に襲われていて、「とにかく早く車に乗せてぇ〜!」って心境でした。帰りに改めて寄ったロックフェラーセンターでも「私はいい」と半目状態でビデオをゆみちゃんに渡し、車の中で寝てました。夜は「ファッションショー」と夏のダンス旅行の「ビデオ鑑賞会」をやるはずだったのに、どれも果たせず。夜中に起き出すこともなく、この夜はスヤスヤと眠ってしまいました。(ゆみちゃん曰く、「歯ぎしりがうるさかった」そうですが...)
1997/12/31 Wed.
【思わず早起き】
昨日、夜中にも起き出さず、ぐっすり寝たため、今朝は早起きできました。7時半くらいからゆみちゃんと2人で起き出して、夏の旅行のビデオを見ていました。一方、パパとママはお寝坊さん。ゆっくりとブランチを食べて(今日は日本食)、のんびりしてたら、もうレンタカーを借りに行く時間。パパと2人でレンタカー屋さんまで、車を取りに行きました。やっぱり、アメリカの人はのんびりしてる。随分待たされたけど、別に急ぐ用があるわけでもなし、こっちものんびり構えて待っていました。待っている間、店の中をあちこち見ていたら、「汚れたまま返したら$80」と書いてありました。すげー高い。洗車なんて、せいぜい$10でしょうに。洗って返さないといけないのかなぁ...と、ちょっと憂鬱。BUT! いざ、車のところに行くと、結構きちゃない。借りる前の傷チェックをでは、「ここに2つ」「こっちに3つ」「前に2つ」と延々傷チェックが続く。あんぐり。こんなに傷だらけのレンタカーは初めて見ました。ま、いいか。こりゃ、気が楽だ。
【再びショッピング】
レンタカーを借りたら、もうこっちのもの。自由のきく体になりました。午後からはゆみぴーと2人で、再びショッピングに出かけました。今日のメインテーマは「ダウンのコートを買うこと」でした。だから、まずはママお薦めのコートファクトリーに行きました。第一の失敗はここで、入り口を間違えたことです。ちょっと行き過ぎてしまって、ウエンディーズの駐車場に入ってしまいました。相手は高速道路なので、戻る術もなく、仕方ないのでウエンディースに車を止めて、ショッピングに。でも、その駐車場には「お客様のみ」「1/2hr PARKING」とある。「タイムリミット30分!」ということで、急ぎで見て回った。お目当てのダウンコートは、あったはあったんだけど、着てみるとちと大きい。買いたかったのは私なんだけど、XSでも大きい。ゆみちゃんが着るとちょうどでした。だから、違うデザインで私の体に合うものを探しましたが、長さは合えど、全体的に「着られている」という雰囲気は否めない。でも、買うことにしました。「いつ着るんだい」という疑問は持ちながら...。(とりあえず、今夜着ようっと) ゆみちゃんもつられて買ってしまいました。ゆみちゃんのが125ドル、私のが150ドルでした。(最初に書いたのは「値段が違う」とゆみぴに指摘されました。)
【金銭感覚が...】
昨日の買い物はとても安かった。ダウンはダウンだから高くても仕方ない、と思えたけど、その後に行ったショッピングモールでは、何もかもが高く感じた。だから、あまりじっくり見る気にもなれず、ただ延々と散歩しているような状態でした。そうは言っても、細かいものをちょこちこと買い、しまいにはCOACHのバッグを、これまた300ドル近い値段で買ってしまいました。そしてまたゆみちゃんもつられて買ってしまいました。(私はちゃんと、リブレットが入ることを確認して買いました)。
「これ以上ここで高い買い物をしないうちに、さっきのところに戻ろう」と言いつつ、あっちで寄り道、こっちで寄り道。やっと脱出して、コートファクトリーに戻った時は6時5分前。よく考えてみれば今日は大晦日。店はどこも早く閉まるのよね。ここも6時閉店でした。それでもめげずに「あと5分!」「あと4分!」「あと3分!」と最後まで粘り、私は2品ゲットしました。
【昨日果たせなかったことをすべてやっちゃおう】
ショッピングから帰ってから、昨日やろうと言っていた「ファッションショー」をやりました。ビデオを前に次々と買った服を見せびらかし、「これはなんと、○○ドル!」と安さ自慢をしていました。それから、夏のビデオも観ました。もちろん、11日間の長旅のビデオですから、全部観ることはできませんでしたが...。
【そしてカウントダウン】
9時には約束通り、山田英さんが迎えに来てくれました。マンハッタンのタイムズスクエア近くの日本料理屋でお食事をしたのですが、日本酒の種類が豊富なのでびっくり。もうわざわざ日本からお酒を持ってくる必要はない、と思いました。それから、日本酒を頼んだ時、「グラスか升か」と聞かれて、「グラス」と答えたんだけど、その時きたグラスがあまりにも大きいんでびっくりしてしまいました。ああ、これで酔っ払い確定、って感じ。
12時15分前。「あと15分だぁ! いかなくちゃ!」と店を飛び出し、タイムズスクエア方面に向かうが、人が多いし、警察のバリケードもあり、あまり前まで進めない。でも、周囲にはすごい人の数。それもみな、超ハイテンション!! 熱気むんむんの中で、新年を迎えました。
年が明けてから、改めてバーに入りました。そこではお通し代わりにお雑煮が出てきてびっくり!(さあ、みなさん、これはどこの国の話でしょう?) 外はとっても寒かったので、このお雑煮がなんともありがたかった。感激ですね。そこでの話題が何だったかは...ないしょ。
英さん、ごちそうさまでした。とっても楽しかったです!
さあて、明日は朝からロングドライブ。寝なきゃ。
1998/1/1 Thu.
【元旦早々、いざボストンへ】
今朝はちょっと起きるのがつらかった。昨日、早起きしたにも関わらず、1時頃まで英さんと飲んでいて、帰宅後これを書いていて、結局寝たのは朝の5時近くだったから...。それでも今日は起きなくてはいけない。誠治がボストンで待っている。(誠治=私の中学・高校時代の友人で、ボストン在住)。とはいえ元旦なんだからお雑煮くらいは食べないといけない。結局予定より1時間遅れの10時に出発。例によって例のごとく、車をぶっ飛ばしてボストンに向かいました。誠治が書いてくれた地図に従って動き始めたものの、最初の分岐で失敗しました。でも、「そこを逃したらここ」という、痒いところに手が届くインストラクションがあったため、パニックに陥らずに済みました。
【マイホームパパ、誠治】
誠治の家では「ランチを食べる」という約束だったけど、私は最初っから昼までにボストンに着けるとは思っていなかった。しかも、1時間遅れのスタートだったので、絶対に無理だと思っていた。でも、彼が言った通り、ぴったり3時間でした。最初の失敗以降は迷うこともなく、1時に到着。自慢のお宅のツアーをして、昼食はなんと、誠治お手製のおせち料理とお雑煮!(彼の奥さんはアメリカ人です)。到着直後のコーヒーも誠治が煎れてくれたし、なんと素敵な旦那様!と私とゆみちゃんは感心することばかり。おうちの改造もすごいすごい。壁をひっぺがして作り直しているんだもん。う〜む、こんな家にこんなマメな旦那と一緒に住めたらいいなぁ、というのが我々独身族の切実な感想でした。
【そしてニューハンプシャーへ】
ボストンを出たのが4時少し前。すぐに真っ暗になってしまいました。ずっとよかった天気も少し崩れ始めた。毎年マンチェスターから宿までの1時間ドライブで迷っていましたが、今回はなんとか迷わず辿り着くことができました。目標の6時には少し遅れて、6時15分の到着。ロッジの前に車をつけると、クラークがすぐに迎えに来てくれた。いつもは飛行機だから、荷物がコンパクトにまとまっているところ、今回は最初から車だったので、荷物がバラバラしている。さらに家からはドライブ用に魔法瓶に入れたコーヒー、NJで飲まなかったから持っていけと言われたグレープフルーツジュース、昨日英さんからいただいたワイン、途中で買い出した食料品(含むビール)などがあり、手が足りない!と思っていたところなので、とっても助かった。クラークは私とゆみちゃんのスーツケースを軽々と持ち上げ(両方いっぺんに!)、ロッジの中に運び込んでくれた。ありがとう、クラーク。
【夜はこれから】
ロッジに入って、まずはモジュラージャックを探しました。見つけました。(お部屋にはなかったけど)。まずはこれで一安心。
そして間もなくして「カランコロン、カランコロン」という合図の鐘が鳴り響く。夕食です。食べました。あまりお腹すいてなかったけど。その後、LynetteとBruceがホールで音響の相談をしていたので、そばで聞きながら、たまに話に参加しながら、これを打っています。まだ、8時20分です。これからどうなるのかわかりませんが、とりあえずは今日の分としてアップしちゃおうかな。
1998/1/2 Fri.
【さびしい朝食の後は恒例のお散歩】
昨日は2人とも早々と寝てしまったため、今朝はとっても早く目が覚めました。6時頃目が覚めて、隣を見ると、ゆみちゃんはC3のテキストを読んでいました。それからもう一度目をつぶって、7時半までうだうだしていました。7時半に起き上がって、シャワーを浴びて、さて、朝食です。昨日の夕飯では生野菜が出ていたのですが、なぜかここでは朝食にサラダが出ない。オートミールは好きじゃないし、ベーコン、ソーセージなどの肉ものは出ない。だから、食べられるものと言えばパンとスクランブルエッグくらい。う〜ん、ちょっとさびしい。
朝食の後は、毎年恒例の「お散歩」タイム。男性6人、女性4人の総勢10人で出かけました。男性陣のうち、ClarkやBill Heimannを含む4名は、さっさと先を行ってしまい、私たち5人(私&ゆみぴー&Lynette, Scott, Carol Heimann)は、途中で出会った馬と遊んでいました。「馬は鼻の穴の中に息を吹き込んでやると喜ぶんだ」とLynetteが教えてくれました。実際、やってみると気持ちよさそうな顔をしていました。
Carol Heimannは終始とても元気で、ひっきりなしにおしゃべりをしながらも、ザクザクと歩いていましたが、運動不足の若者達はそれについて行けず、Lynetteと私は何度も「もう引き返そうよぉ」と泣き言を言っていました(注:Lynetteと私がここで一番若い)。本当にCarolったら元気なんだから...。
お散歩の後はこの3人がBillを置いて買い物に行ってしまったため、私は昼食までのひとときをBillとおしゃべりをして過ごしました。JNACCの話にとても興味を持ってくれて、引き続き昼食時にその話をしていたら、Carolが「いつか絶対に行きたい!」と言ってきました。でも、彼らはまだ一度もアメリカを出たことがないそうで、Billはそのプランに対して、少し躊躇している様子でした。
【いよいよダンス開始!】
午後3時からはいよいよダンス。私たち前泊組が食後の休憩を取っている頃、当日着のダンサー達が続々と集まってきました。Geo&Patrick、Ett&Lindaも当日着。Patrickはなんと、2匹の大型猫を肩に乗せての登場!「ジキルとハイド」という名のにゃんこ達でした。とっても大きくて、顔つきも猫っぽくない。野生的というか、トラっぽい顔つきでした。
さて、本題のダンスですが、今回はEttが持ってきた、Vicのプログラムによるコンピュータスクエアでセットを作りました。6セットと1人(つまり、全部で49人)。ほとんど休みなしです。実際、今日は午後のセッション、夜のセッションと2セッションありましたが、その間、私たちは休みなしでした。
ダンスの内容は、相変わらずClarkが難しめのものを持ってきていて、スムーズに動かないことが多かった。曲の選び方も、Clarkのはちょっとノリが悪い。それに対して、Lynetteのコールは変に難しくなく、スムーズ&スピーディという感じでした。ただし、セットによっては、必ずしも「スムーズ」には踊れなかったけど...。
【実は一日具合悪かったの...】
今日からいよいよ本番だったのに、なぜか私は朝から、正確には朝食後から具合が悪くなっていて、ずっと吐き気がしていました(実は今も)。昼食の後、ダンスが始まる前に1回全部出してしまいました。それでも、ムカムカしている状態は変わらず。だけど、ここまで来て(このためにアメリカくんだりまで、しかもニューハンプシャーの田舎まで来たのに)ダンスしないわけにはいかない、ということで、頑張って踊りました。夕食の頃にはいよいよ具合が悪くなり、夜のセッションまで1時間ほど寝ていました(あまり効果はなかったけど)。
夜のダンスをなんとかこなし、その後はしばらくClarkを中心に地下のプレールームでおしゃべりをしていました。早く寝ればいいのかもしれないけど、こういう場での情報交換はとっても重要だと思ったから...。
私の横にはPatrickが連れてきたハイドが寝ていました。こいつを撫でながら、「ターゲット2000」の話や、新しい人をこの世界に入れる難しさについての話、SD関係のメーリングリストの状況などについて話し合っていました。最初は4人で話していたのが、いつのまにかどんどん人が集まってきて、大きなグループになってしまいました。大勢の中でしゃべるのはつらいので、だんだんと話題の中心から外れて行き、フェードアウトしてきました。
さて、明日も早いし、具合も悪いので、今日はこの辺で...。
1998/1/3 Sat.
【C4、踊りました】
昨日の夜、遅くまでおしゃべりをしていたため、今朝の目覚めはギリギリでした。9時から朝食を食べ、11時からC4。時間がたっぷりあったので、その間にシャワーを浴びて、少し早めにホールに行くと、GeoがC3Aをコールしていました。Scottが1人でPhantomで踊っていたので、私とゆみちゃんはそこに入る。3人で踊るのは結構つらかったけど、途中、Scottが折りたたんだ10ドル札を床に置いて、「ここが中心ね」とマークしてくれたから、少し楽になった。いつもこういう遊びが一番楽しいのよね。
11時からのC4セッションは...弱いダンサーが多かった。人に惑わされてはいけない、と思いつつも、たくさん間違えてしまいました。Clarkのチップで、右方向に飛び出た、右手のLadderからの「Common Spot, Open Up the Column」がおもしろいと思った。このチップはLynette&Scottも一緒に踊っていたんだけど、LynetteがCommon Spotの使い方について、統一されていないのが嫌だと言っていた。どういうことかと言うと、コーラーによっては、2つのグループを最後まで別々に動かす場合と、コールの途中でA班とB班をいっしょくたにしてしまい、残りのコールをさせる場合がある。この後者のやり方が気に入らないと。Clarkがかけたパターンは、最後まで別々に動くやつで、これは美しかった(美しく動けたかどうかはわかんないけど...)。それからClarkのアンシメトリックで、#1カップル同士が右手を取っているTharから「Concentric, #1 Lead, Unwrap」ってのがかかって、とっても新鮮だった。この表現で正しく説明しきれているかと言えば、NOである、という話はその後でありましたが、それでもみんなはOKとしたみたいです。私もおもしろいと思いました。
Lynetteのコールでは、Dixie DiamondでColumnのCenterにHingeをさせるパターンのやつがかかって、その後のLunchの時に「あなたの認識では8人コールなの?」って質問をしたら、「あのコールについては異論を持っている人が多いけど、私はいいことにしている」みたいな返事が返ってきました。Bruceは許せないと思っているみたいで、結構しつこく責めてた。あと、Lynetteのコールにはめずらしく、ダンスのスピードの中では理解しきれなかった難しいコールがあったんだけど、これが解明してみると、おもしろかった。始まりの形を言葉で説明するのが難しいんだけど、Point to Point Diamond SpotでCentersがTandemの形になっていて、Tandemを1人と考えると6人のRight-handed wave。という形から、「INITIALLY, ONCE REMOVED, SIAMESE, MIRROR, 1/4 Wheel the Sea」というコールです。ただし、後になって彼女は「あのコールはよくよく考えると文法的に間違っている。うまく言える方法がない」というようなことを言っていました。改めて、メモを見て考え直しても、私はおかしくないと思うんですけどね。誰か、わかる人がいたら教えてください。
【Dance! Dance! Dance!】
午後は2時からC3。そして4時から5時半までは再びC4のセッション。そして、夕食の後は8時から10時半までC3。くったくたになるまで踊って踊って踊りまくりました。コンピュータスクエアだと、好きなときに休めないから大変。最近、アメリカのメーリングリストで、ダンスが終わった瞬間に倒れて死んでしまうダンサーの話をよく聞きますが、今回もよぼよぼの、歩くのもしんどそうなダンサーがたくさんいたから、「これじゃあ、いつ人が倒れてもおかしくないなぁ」と変な感想を持ちました。
さて、ダンスですが、正直言って、今回の私は下手くそでした。ほとんどすべてのダンスをビデオにおさめたのですが、人に見せるのは恥ずかしいくらい、たくさんロストしました。C4のセッションでは知らないコールがいくつか出てきました。あんまりにも普段かからないので覚えていないものもあれば、初めて聞いたコールもありました(全部Clarkです)。昔からのダンサーは踊れるようですが、私は立ち尽くすばかり。もしくは「何それ?!」と周りのダンサーにLeadをうながし、助けてもらう。後から聞いたらPatrickも全然わからず、立ち尽くしていたそうです。
【初めて一緒に飲むお酒】
夜のセッションが終わってからは、毎年恒例なんだけど、Darlaという女性ダンサーがみんなを招いてパーティをします。ワインやシャンペンを飲み交わして。去年はゆみちゃんと2人でちょっと顔を出しました。「アメリカのダンサーもお酒を飲むんだぁ」と思った瞬間でした(みんな、聞くと「飲まない」って言うんだもん)。だけど、去年も私が話をしたいと思っている面子は、お義理でちょっと顔を出しただけで、お酒は飲みませんでした。だから、「この人たちは本当に飲まないんだ」って思っていたんだけど、Clarkに聞いたところによると、親しい人達で集まって、部屋で小さなパーティを開いているらしい。そこに入れてもらいたいなぁ、と思いつつ、指をくわえていたのが去年までの話です。今回は、Darlaのパーティにも少し顔を出すつもりだったのですが、ダンス終了直後に車に入れておいたビールを取ってきて、そのままダンスホールで2人で飲み始めました。ほとんどの人はいなくなっていたんだけど、ホールのすみっこ、二個所で小さなグループが出来ていて、おしゃべりをしていたので、私はGeoの隣に座り、Patrick、Lynetteと話し始めました。近いうちにLynetteに日本に来て欲しい、という話から始まって...何を話したんだっけな...ちょっと忘れちゃった。
とにかく、そこで話し込んでいて、そろそろ動くか、って時に「で、Darlaのに行くの?」という話になりました。「大勢で飲むのは好きじゃないんだよなぁ」「もう終わっているんじゃない」などと口々に言い、なんとなくみんな「行きたくないなぁ」みたいな雰囲気になました。Lynetteが「ワインならあるよ」と言い、Geoが「うちにはシャンペンがあるよ」と言い、私が「私も1本、ワインがあるよ」と言ったら、もう暗黙の了解って感じで、次の相談は「誰の部屋がいい?」。結局、ジキルとハイドの待つ、Geo&Patrickの部屋に集合することになりました。
結果的には、このダンスに集まった50名余りの中で、最も若い6人がひとところに集まった形となりました。部屋を薄暗くして、とてもリラックスした雰囲気の中、ぽつりぽつりといろんな話をしました。スクエアダンスの話ももちろんしましたが、その他、プライベートな話とかも。Lynetteとは、感覚的にとても近くて、あまり言葉を尽くさないでも話が通じるので妙に気持ちがよかった。彼女は日本がとても好きで、今度はScottと一緒に、ゆっくり日本を旅したい、と言っていました。来年あたりは来てもらえるかな?
【余談:洗濯の話ね、ああよかった】
午後のC4セッションが終わった後も、夕食までのひとときを、ホールの片隅で、この面子にCarol Heimann, Scott, 途中からClarkも加えておしゃべりをしていました。その時は、最初はとってもまじめにスクエアダンスの話をしていたんだけど、Clarkが加わったころから全然違う話になって、「昔は洗濯機なんてものはなくて...」という話をしていました。それというのも、ホールの壁に洗濯板と洗濯物を絞るための道具が展示されていたから。Carolが、自分が子供の頃、幼い兄弟が10人もいたもんだから、その頃は紙おむつなんてものもないし、毎日毎日大量の洗濯物を自分がしていたのよぉ、って話を切々と語ってくれて、そこにClarkが「その頃は避妊具もなかったしね」とちゃちゃを入れ、Carolが「いや、あったことはあったけど、両親の方針で使わなかったのよ...」と返事をした次の瞬間、Patrickが「昔は棒と石も使ったよね」と言う。へ?みんな一瞬沈黙。5人の頭の中にはおかしな想像が駆け巡る。「洗濯にさ」とPatrickが付け加えた時、みんなは大爆笑! もう、おかしくておかしくてたまりませんでした。Lynetteはいつまでも笑い転げていて、一旦おさまったかと思ったら、しばらくしてまた吹き出しているし、私もほとんど同様の症状でした。こんなに激しく笑ったのは15年ぶりくらいかもしれない。
1998/1/4 Sun.
【若者はみんなでお寝坊】
昨日は結局2時頃まで、かなりの量のお酒を飲んでしまったため、朝は起きれませんでした。Lynetteは夜の時点ですでに「朝食は食べない」と敗北宣言をしていて、私もそうしようかなぁ、と目覚めてからもうだうだしていました。ただ、いつも食事のスタート時間にちゃんと行くと、ダンスまでたくさん時間が余るので、ダンス30分前くらいに食堂に行って(もうほとんどみんな食べ終わって雑談をしている)、一応朝食を食べました。Patrickはちゃんと早起きしてご飯を食べていましたが、Geoの姿はなく、まだ寝ているとのこと(いつものことだけど)。それから間もなく、Geoが降りてきて、結局3人でダラダラと食事をすることに。しばらくしてLynetteとScottが姿をあらわし、眠そうな顔で食事している私達3人を見て、くすっと笑い、「やっぱり」と言う。お互いにだけわかるサインみたいで、なんとなく愉快な瞬間でした。
Lynetteが準備のため、ホールの方に姿を消してから、今度はCarolが現れて、私の隣に座る。「昨日はみんなで素敵なパーティをやったそうじゃない」とちょっとうらめしそうに言ってくる。「教えてくれれば絶対に行ったのにぃ」って、言われて、「やっぱり」って思いました。でも、若者の集まりだったから....ってわけじゃないけどね。いてもよかったんだけどね。まあ、また今度ね。
【そして、最後のダンス...】
朝の最初のチップは9時半から。集まりが悪く、コンピュータスクエアが使えなかったため、適当にセットを作る。私とゆみぴーは出遅れてしまい、あぶれちゃった。そうしたらすぐにCarolが気を遣って、ゆみちゃんを自分のスポットに入れる。海外からわざわざ高いお金を払って来ているのに、ここで休ませてはいけない、って思ったんでしょうね。Carolってそういう人だから。私はその前に、後ろの方でセットを作っていたEttの背中に張りついて、Tandemで踊る意思表示をしていたので、ゆみちゃんだけが連れて行かれました。私の方は、結構大変。コールとしてTandemで動くわけではないので、完全に影のようについてまわる。Ettは普通に動くから、私がたくさん動かなくちゃいけない。UTBも一苦労(だって、コールのタイミングは1人で動くスピードだから...)。ハーハー、ゼーゼー言いながら走りまわるはめになったけど、とおおおおっても楽しかった。
その後の数チップは、本当にあっという間でした。最後だから気持ちよく踊らせようっていう考えなのか、LynetteもClarkも比較的スイスイ踊れるコールをしてくれました。
そしてすべてのプログラムが終了しました。急いで帰路につく連中と、別れを惜しみ、熱いHugを交わしました。今度はいつ会えるのかな? LynetteとScottは今月末にテキサスに引越し。Patrickも今月末から3〜4ヶ月という長い期間、Geoを置いてパリに行ってしまう。みんないろいろ大変ね。でも、今年中にはまた会えるといいな。
【再び5時間半のロングドライブ】
いつものことだけど、私達がほとんど最後の客でした。Clarkに別れを告げ、車に乗り込む。再び長い長いドライブの始まりです。今度は寄り道もないし、この先に楽しい予定があるわけでもないので、気が重くなっちゃうかな、と思ったけど、意外と体も元気だし、ゆみぴーと2人で3泊4日を振り返り、かみしめていました。
今回、みんなで話したことの総評というか、全部ひっくるめて感じたことは、コーラーにもいろいろ要求したいけど、今のままではあまりにもコーラーが気の毒だということ。コールで生計を立てなければいけないコーラーにとってはまた少し事情が違うけど、なんていうのか、生き甲斐というかやり甲斐みたいな話で...。本当に楽しくコールができるのなら、お金なんて要らない。でも、そんな場所はない。
今回のWeekendは、そこそこのWeekendだと思うけど、それでもやはり、自分が作ってきたものがフロアに対して想像以上に難しかったということに、Lynetteはひどく落ち込んでいた。Clarkに比べればLynetteのコールはうーんと踊りやすかったんだけどね。
別のダンスの話では、ダンサーの無反応さに対する苛立ちや、上手に踊るための努力をしないで、ただコーラーに「楽しませてもらいたい」というダンサーの受け身の姿勢が許せない、とか、結構辛辣な話がありました。でも、もっともだと思いました。
こういったことに、一時期とても苦しんだというコーラーがいたんだけど、今は「自分の観客は自分で選ぶ」と割り切ったようです。ただ、この割り切りはとてもさびしいことで、その考えはある意味で「諦め」であり、ダンサーから一歩離れたところに自分を置いている。そうしないとやりきれないというか、自分の心が傷つかないために距離を置いているんですよね。とても難しい問題です。日本でも同じだと、私は思います。
【もうすぐ日本に帰ります】
夕方New Jerseyに戻りました。夕飯は手巻き寿司。ここ数日、ものたりないアメリカンフードだったので、とってもうれしい日本食。さて、あとは荷造りなんだけど、私はロングドライブの疲れが出たのか、ソファーで寝てしまいました。真夜中過ぎに起き出して、荷造りを済ませて3時。それからこの日記を書き始めて、今はもう朝の6時です。帰ったら激しい職業生活が待っていると思うと、ちゃんと寝なきゃいけないなぁ。と思いつつ、まだ起きています。
1998/1/5 Mon.
【旅立ちの時間です】
結局、ソファで数時間寝てから夜中に起きだして、それっきりずっと起きていました。朝方荷造りがだいたい終わったところで、久しぶりにホームページの更新をしていると、やはり、まだ時差ぼけが取れないままのゆみちゃんが起きだしてきた。2人でぽそぽそとしゃべりながら朝を迎えました。お腹が空いたので、冷蔵庫の中から、昨日の夜の手巻寿司のネタを取り出してつまむ。こっそりそのまま戻しておいたんだけど、起きてきたママが朝食の準備をするんで、タッパーを開けた瞬間、「あれ?」と首をかしげていました。
【段ボールをかかえての帰国】
前半のお買い物が効きました。ダウンのコートなんてがさばるものを2人とも買ってしまったので、到底トランクに入りきる荷物ではありません。そもそも1回目の買い物で、2人の戦利品はあのアメリカの車の大きなトランクを埋め尽くしていたんですから...。というわけで、私達はパパが用意した段ボール箱に入りきらない荷物を詰めて、帰路につきました。
空港では、チェックインを待つ、長い長い列ができていました。なかなか進まない。こういうところがアメリカなんだよねぇ。係員からは全くやる気が感じられない...。Lynetteが言っていた、日本から帰ったら、アメリカのサービス業の人達がとても“Rude”に感じたと。Rudeとは一言で言えば、「態度が悪い」ってこと。今までは何も感じてなかったのが、日本でのサービスの在り方を見てしまうと...という話です。
そうして、長い列を待った後、チェックイン。ちょっと恥ずかしかったです。「お前らは移民かいな」と言われそうな荷物なんだもん。
【飛行機の中ではちょっと楽しました】
飛行機に乗り、後は帰るだけ。こうなると一刻も早くおうちに帰って寝たい!と思うのはいつものこと。今回は運よく後ろの方に真ん中4人席が空いていたので、自分の座席番号を無視して、そこに2人で座ってしまいました(相変らず「最後の乗客」っぽい時間に乗ったので、「ここには人が来ないぞ」と判断して移りました)。そのお陰で、ゆみぴいと私は、2席づつ使って、ゆっくりと空の旅を楽しむ(?)ことができました(って、ほとんど寝ていただけですが...)。
機中で一夜明け(日付変更線の上を飛んでしまったってだけですが)、1月6日。無事、成田に着いて、2人は別れたわけですが、その後、私はさんざんな目に遭いました。詳しくは「天国と地獄」の「失敗の連続」をご覧ください。
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